令和元年憲法記念日~日本の歴史と伝統を改めてかみしめる~
本日は令和元年三日目。憲法記念日。
新憲法の施行を祝う祭日です。
前の憲法である大日本帝国憲法(明治憲法)と新憲法の違いについて、天皇主権から国民主権、基本的人権の尊重、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認という憲法第9条の平和主義等々今日はマスコミで専門家がいろいろ解説していると思います。
法律をかじったことがあることから、憲法記念日に当たりこれらの専門家とは違う角度からコメントさせて頂きます。
憲法とは、国の在り方の基本を定めたものですが、国の在り方の基本を定めたものに何故憲法という用語を使用したのでしょうか。
日本には、憲法という文字を使用されたものが三つあります。
明治22年2月11日に公布され明治23年11月29日に施行された明治憲法、明治憲法73条の憲法改正手続に従い、明治憲法を改正し、吉田内閣及び昭和天皇により昭和21年11月3日に公布され、昭和22年5月3日に施行された日本国憲法。
ところで、忘れてはならないのがもう一つあります。
推古天皇12年(西暦604年)に聖徳太子が作ったとされる憲法十七条です。
1415年も前に制定された十七個条の憲法は、間違いなく国の在り方の基本を定めたものであり、明治憲法にも大きな影響を与えているのです。
明治憲法は伊藤博文、伊藤巳代治、井上毅、金子堅太郎らが起草しました。
明治維新は下級武士が原動力となりましたが、明治維新後、欧米先進国の文物視察と調査のために派遣された岩倉具視を正使とする使節団には、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文らが副使として随行し欧米列強の科学技術、軍制、法体系を学び新しい日本に導入しました。
日本を欧米列強のような先進的な国、法治国家を目指したとき、国の在り方の基本法、最高法規に憲法という文字を当てたのは憲法十七条に対する深い理解があったからです。(日本にとって国の在り方の基本を定めた最高法規を憲法と呼ぶことにしたのはここにあったのです。)
明治維新の原動力となったのは下級武士でしたが、下級武士であっても当時の武士は知識人であり、当然の教養として聖徳太子の憲法十七条も理解していたのです。
明治憲法及びそこにつながる坂本龍馬の船中八策、五箇条の御誓文などその底流には憲法十七条が脈々と流れているのです。今日はその概要をご紹介します。(ネットで検索し、一度は目を通して頂ければ幸甚です。)
簡単に全条の抜粋をご紹介します。
第一条 「和を以て貴しとなし」で、この和は令和の和と同じく、「peace(平和)」というより「harmony(調和)」という意味です。
第二条 篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。
第三条 戦後日教組が忌み嫌い、教育の現場から徹底排除したために戦後教育ではタブー視されたのが第三条です。第三条では、「承詔必謹(しょうしょうひっきん)」。詔勅を承りては必ず謹(つつし)め。(天皇陛下の詔勅が下されたら、必ず謹んで従いなさい。)
この言葉ゆえに天皇陛下のために日本が戦争に突入し、大勢の日本人、日本兵が無駄死にしたとし、憲法十七条そのものまで貶めてしまいました。
第三条で規定していたのは、
天皇陛下の詔勅が下されたら、必ず謹んで従いなさい。謹んで従わなければ、国の和は自ずから壊れてしまうということでした。
第四条 政府高官や役人は礼を基本としなければならない。政府高官や役人に礼があれば社会秩序は乱れず、人々に礼があれば国家は自然と治まる。
第五条 役人は賄賂や接待を受けてはならない。賄賂や接待が当たり前になると、財力のある者の申し立ては簡単に通るが、貧しいものの申し立ては聞き入れてもらえない。役人はこのようなことをしてはならない。
第六条 勧善懲悪は古くからの良い教えである。こびへつらいは絶対に許せない。こびへつらうものは、上のものには下の者のミスを言いつけ、下の者には上の者を誹謗中傷する。
第七条 人を登用するときは適材適所を旨とし、官職には適した人を求め、誰かのために新しい官職を設けてはならない。
第八条 役人は朝早くから夕方遅くまでまじめに仕事をしなさい。
第九条 人の道の根本は信義。信義がないとどんなことも失敗する。
第十条 ほかの人が自分と違う考えをしても怒ってはいけない。ひとそれぞれいろいろな考えがある。自分がこれが正しいと思っても、他人の意見を聞き、一緒に行動しなければならない。
第十一条 役人の功績や失敗を適正に評価し、信賞必罰としなければならない。
第十二条 国に二人の君はいない。天皇から任命された政治を行う役人は人々から勝手に税金をとってはならない。
第十三条 役人は自分の職務を理解し、担当者不在ということで公務を停滞させてはならない。
第十四条 役人は嫉妬してはならない。自分が人を妬めば、人もまた自分を妬む。嫉妬の憂いは限りがない。
第十五条 役人は私心を捨てて公務に専念しなければならない。
第十六条 税金を取るときは時期を見て徴収しなければならない。時期を誤ると人々が苦しむだけである。
第十七条 物事は一人で決めてはならない。必ず議論して判断すべきである。特に国家の重大な事柄は判断を誤ってはならない。みんなで議論して決めなければならない。(船中八策、五箇条の御誓文にある、万機公論に決すべしの由来ではないか。)
なんと、1400年以上前に聖徳太子はこのような国の基本法を制定し、明治維新の原動力となった下級武士はこの憲法をよく理解していたのです。憲法十七条に西欧列強の法体系を接ぎ木したのが明治憲法ではなかったでしょうか。
新天皇陛下御即位、改元を機に天皇陛下を象徴元首に戴くこの国の在り方、悠久の歴史に思い馳せた次第です。
最後に令和改元に当たり、西暦一本にした方が良いという西欧かぶれとしか言いようのない知識人かぶれがいますが、西暦はキリスト教暦だということをご存知でしたか。
西暦は、イエス・キリストが誕生してから何年目と計算します。紀元前とは、キリストが生まれる何年前かと計算しています。
イスラム教徒、ユダヤ教徒には受け入れられないものです。イスラム教徒はイスラム暦を使い、預言者ムハンマドがメッカからメディナへ聖遷(ヘジラ)したユリウス暦622年7月16日を「ヘジラの年」と定めヘジラ暦元年としています。ユダヤ教徒はユダヤ暦を使っています。
東南アジア・南アジアのうち、仏教徒が多数を占めているタイ・カンボジア・ラオス・ミャンマー・スリランカなどでは、お釈迦様の入滅(死去)した年を基準とする仏滅紀元(仏暦)が普及しています。
日本でも、戦前は神武天皇が即位した年(紀元前660年)を紀元とする皇紀を使っていました。(建国記念日です。)
皇紀は、終戦後公には使用されなくなりましたが、今年は皇紀2679年です。(ゼロ戦は皇紀2600年(昭和15年)制式採用されましたので2600の一桁目の0(零)から零式艦上戦闘機と命名されたのです。)
西洋諸国と交流する関係で西暦並記もありとは思いますが、西暦一本にすることには抵抗があります。
天皇一世一元号だと平均三十年ごとに改元されることになりますが、非常に人に寄り添った年号だと思います。
人の一生で大体三つの年号を経験することになりますが、幼少期から青年期はどうであったか、壮年期は、晩年期はどうだったか人の一生を大掴みできる、非常に人間的なものだと思います。
世界で唯一となった日本の年号を大切にしてほしいと心から願っています。
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