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あすなろ投資顧問

2020-11-17 11:00:00

まんもす藤井。の銭話物語

【山一コラム】第1回『山一證券に辿りついた運命』

いつもあすなろ投資顧問をご利用頂きまして誠にありがとうございます。

『まんもす藤井。の銭話物語(ぜにばなものがたり)』

まんもす。藤井です。


皆さんは≪モトヤマ≫という言葉を聞いたことがありますか?

モトヤマとは突然元山一と言わざるを得ない状況になった元山一證券の社員の通称です。

今から23年前の1997年11月24日は、以前私が勤務していた当時四大証券の一角の山一證券が自主廃業を発表した日です。

今週は全5回に渡り、私が山一證券を通して見てきた証券市場と今のあすなろ投資顧問に辿りつくまでの相場の今昔物語を書かせて頂きます。

最後までお読みいただければ幸甚です。

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【第1回】山一證券に辿りついた運命

最初の第一回目は私が山一證券に辿りついた経緯をご紹介します。

私は岡山の片田舎の貧乏育ちだったものですから、親に楽をさせたく年収の高い業種に興味を持ち金融・商社・マスコミに就職したいと思っていました。

ある日TVのニュースで円高・ドル安が連日報道され短資会社の上田ハーローの円卓のデスクで電話を同時に二本持ちながらトレーディングをしている姿を見て、子供ながらにそれになろうと思いました。当時ネットもない時代ですから自分で本屋さんに通い調べて行くうちに、ドル円は為替と言うもので大きなお金が取引され、英語がわからないとダメだと言うことがわかりました。そこで親に無理を言って地元にある唯一の英語塾に小学6年から行かせてもらっいました。おかげで中一の4月の入学時には中一の英語は終わってました。

トレーデングに興味を持った小学校6年【1980/4/1 日経平均は6502円】

しっかりした夢があった私は中学・高校で猛勉強して地元の国立大学を周りや先生から薦められましたが、東京の就職に有利な中央大学に奨学金を借りて入学しました。

中央大学入学時の【1987/4/1 日経平均は22040円】

大学時代(1987年~1991年)はバブル絶頂期で私は仕送りも殆どなく学生時代はバイトと奨学金でやりくりをし、お風呂の無いおんぼろアパートに住んでいたので冬は銭湯に通い、夏はコインシャワー(今はもう絶滅)に行き、究極にお金が無いときには洗濯機に水を溜めてお風呂の代わりにしていました。(当時は二層式の洗濯機で主水層に水を溜めるとお風呂になる)そんな貧乏学生時代でも、高校の地理の先生の教えもあり在学中に自分の足で必ず海外に行こうと思っていました。また海外で仕事がしたいとも思い始めたのもこの頃です。

大学時代はバブル絶頂期でしたが、私はバイトに明け暮れお金が貯まればバックパッカー(低予算で国外を個人旅行する)として海外を貧乏旅行するのが好きでした。高校時代に地理の先生と約束していた通りにNYマンハッタンから高校宛に大学受験のお礼を手紙で送ることもできました。結局大学4年間で8か国を回り各国の文化・風習や人種に触れ合うことが出来きました。

大学4年の5月には山一證券から内定を頂きました。当時は1990年という事もあり就活は超売り手市場でした。入社面接では海外貧乏旅行で何を学んだかを語ったことを今でも鮮明に憶えています。直ぐに内定がもらえました。

当時の大手四社と言われた野村・大和・日興・山一と全て内定をもらい、OB訪問で一番印象が良かったことと≪人の山一、法人の山一≫と言うキャッチフレーズが心に刺さったことと私が入社して必ず野村證券を抜いて再び日本一の証券に成り上がりたいと思い、当時4位が指定席の山一證券に入社を決めました。ですが困ったことにどうやって野村証券の内定を断るかに頭を悩ませました。当時は内定のお断りに行くと面談中コーヒーを頭からかけられるとか、かつ丼をひっくり返される言った噂が出回っていたからです。ですが正直に山一に行く旨をお伝えして丁重にお断りいたしました。実際、そんな事は有りませんでした。今、思えば野村証券に行っていれば今、どこで、どの部署にいんだろうとつくづく思うこともあります。

その後1990年10月1日の内定式には、はとバス13台(約700人)の行きのバスの中で当然の様にビデオ映画でチャーリーシーンのウォール街を鑑賞させられました。拘束旅行(学生を都内から遠避け他の内定した会社に訪問させない為)と称し山形の蔵王まで連れていかれ、昼は意味のないソフトボール大会と夜はフランス料理を堪能し次に各部屋に支給されたお酒を持ち込み各部屋で好きなだけお酒を頂きました。その宴会では途中から出身大学ごとに自然と集まりなぜか当時取締役人事部長の中央大卒の先輩を胴上げして気勢を上げた記憶があります。当時バブルの終焉とは言えノリも異常でした。

この時は、流石天下の山一證券は内定者にここまでするのかと思い、入社もしていない自分が大出世した気分になりました。

岡山の片田舎にいたらこんな会社には到底入れない。今まで自分が努力してきて報われたと何度も思うと同時にやる気がみなぎっていきました。

そして1991年4月憧れた山一證券に入社 【1991/4/1 日経平均26007円】

今回はこのあたりで終わりにします。

最後までお読み頂きありがとうございます。

明日は山一新人営業から在籍中のエピソードをご紹介いたします。

執筆:藤井 勝行

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