リスペクトまんもす藤井。:外部から見た山一證券の思い
かなりくだけた内容ですが、週末・休日版という事でご了承いただき、お付き合いください。
多分に手前味噌な点はお許しいただくとして、弊社No.1アナリスト「まんもす藤井。」による「山一コラム」の公開をお祝いするつもりで、私なりの「まんもす藤井。」に対する想いと、彼の礎となった山一證券に対して、私なりの思い出をご紹介したいと思います。
まんもす藤井。は、とにかく株が好き。
常に、株価の値動きをチェックし、決算短信に目を通し、会員様各位にご推奨したり、お問い合わせに備えたり、朝から晩まで株式投資の事だけを考えているような真面目な男です。
私にも、未だ現職の証券業界の知り合いは多いのですが、私が知りうる限り、まんもす藤井。ほどの株好きは私の周りにはいないと断言できます。
まさに、まんもす藤井。の仕事と趣味とライフワークが、株式投資を基に形成されているような印象です。
私にも、他の証券業界出身の知人にも、なかなか真似できるような姿勢ではありません。
そんなまんもす藤井。の礎となった山一證券に対する私なりの思い出を、時系列順にご紹介すると、こんな感じです。
<<鋼管、山一、100万買い!>>
旧日本鋼管(NKK)株(2002年に川崎製鉄との経営統合を経てJFEホールディングスとなる)と言えば山一證券を連想するくらい、私が証券界に身を投じた1990年代は、日本鋼管に対する「手口」で一番目立っていたのが山一證券でした。
それも100万株単位で売り買いするので、当時の場況を伝える「短波放送」からは、「鋼管に山一100万買い」という実況放送を何度も耳にしました。
当時の私が所属していたのは日系準大手証券のひとつで、山一證券の株式市場における影響力の強さを実感する事しきりでした。
<<張るなら貸してやるけど、帰るなら貸さない>>
1992年、私はロンドンで半年間、CB・ワラントのセールストレーダー研修に就いておりましたが、上司に連れられて、夜な夜な、ロンドン界隈のカジノへ出掛けました。
当時日本から出向されていた各証券会社の役職員の方々との「社交」の場が、まだまだ数が少なかった日本食レストランと、カジノだったわけです。
ある晩、カジノで負けがこんで、帰りのタクシー代さえなくなってしまった私は、気が付くと上司もとっくに帰った後で途方にくれ、カジノに行けば必ずお目にかかる、上司が親しげに話していた、山一證券の方と思しき方に、私の名刺をお渡ししながら、
「大変不躾ですが200ポンド貸していただけませんか?」とお尋ねしてみました。
「おぅ、君の事はよく見かけるよな。〇〇証券のトレーニーだろ?」
「張るなら貸してやるけど、帰るなら貸さないぜ」とニヤッとお笑いになりました。
しばらく一緒に「張って」お帰りになり、私は朝方まで粘って時間を潰してなんとか負け分を取り返して、そのまま出社し仕事へ。
上司に昨晩の顛末を報告すると、「馬鹿野郎、あの方は山一ロンドンの社長だ!オレがお礼とお詫びに行くからお前はしばらくカジノ禁止!」
カジノ禁止とのお達しだったので、粋な山一ロンドンの社長さんには、その後お会いする機会がなく、不義理のままとなってしまったのが心残りです。
<<2円で10万買い!>>
山一證券株が上場廃止となる最終日、ある外資系証券会社でトレーディング業務に携わっていた私は、「木村、オレ、記念に山一の株券欲しいんだけど?」と外国人トレーダーの同僚から尋ねられました。
いいね、オレも欲しいなぁ、他にも欲しい人居る?と有志を募ったところ、全部で10人。
発注口座はその外資系証券会社の自己勘定!(今ではコンプライアンス的にありえませんが・・)
できれば1円で買いたいけど買えないから、2円を10万株買って、数週間後に1人1万株ずつ会社から山一證券株を配布されました。1人につき2万円を会社から徴収され、売買手数料等は、取締役株式部長がポケットマネーで支払ってくださいました。
結局、後日、誰かに欲しいと言われて、あげちゃいましたけど・・。
山一證券、まんもす藤井。共にリスペクトの想いしかありません。
「山一コラム」は全5話で、本日は最終話が配信されています。
私は初めて拝読しましたが、目頭が熱くなりました。
是非お楽しみ下さい。
執筆者:木村
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