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あすなろ投資顧問

2017-11-20 17:00:00

山一コラム

【第1回】山一證券に辿りついた運命

モトヤマとは突然元山一と言わざるを得ない状況になった元山一證券の社員の通称です。

いつもあすなろ投資顧問をご利用頂きまして誠にありがとうございます。

コンプライアンス部長の藤井です。今から20年前の1997年11月24日は以前私が勤務していた当時四大証券の一角の山一證券が自主廃業を発表した日でした。今週は全5回に渡り、私が山一證券を通して見てきた証券市場と今のあすなろ投資顧問に辿りつくまでの相場の今昔物語を書かせて頂きます。

最後までお読みいただければ幸甚です。

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【第1回】山一證券に辿りついた運命

最初の第一回目は私が山一證券に辿りついた経緯をご紹介します。

私は岡山の片田舎の貧乏育ちだったものですから、親に楽をさせたく年収の高い業種に興味を持ち金融・商社・マスコミに就職したいと思っていました。

子供ながらにある日TVのニュースで円高・ドル安が連日報道され短資会社の上田ハーローの円卓のデスクで電話を同時に二本持ちながらトレーディングをしている姿を見て、それになろうと思いました。当時ネットもない時代ですから自分で調べて行くうちに、ドル円は為替と言う物で大きなお金が取引され、英語がわからないとダメだと言うことがわかりました。そこで親に無理を言って地元に由一ある英語塾に小学6年から行かせてもらった。おかげで中一の4月の入学時には中一の英語は終わっていた。

トレーデングに興味を持った小学校6年【1980/4/1日経平均は6502円】

しっかりした夢があった私は中学・高校で猛勉強して地元の国立大学を周りや先生からは薦められましたが東京の就職の有利な中央大学に奨学金を借りて卒業する事が出来ました。

中央大学入学時の【1987/4/1日経平均は22040円】

大学時代(1987年〜1991年)はバブル絶頂期で私は仕送りも殆どなく学生時代はバイトと奨学金でやりくりしていた。お風呂の無いおんぼろアパートに住んでいたので冬は銭湯に通い、夏はコインシャワー(今はもう絶滅)に行き、究極お金が無いときには洗濯機に水を溜めてお風呂の代わりにしてました(当時は二層式の洗濯機で主水層に水を溜めるとお風呂になる)。でも、高校の地理の先生の教えもあり大学には入れれば海外に必ず自分の足で行こうと思い、また海外で仕事がしたいと思い始めた。

大学時代はバブル絶頂期だが私はバイトに明け暮れお金が貯まればバックパッカーとして海外を貧乏旅するのが好きだった。高校の地理の先生に約束通りにNYのマンハッタンから高校宛に大学受験のお礼を手紙で送りました。結局大学4年間で8か国を回り各国の文化・風習や人種に触れ合うことが出来きた。

大学4年の5月には山一證券から内定を頂いた。当時は1990年という事もあり就活は超売り手市場だった。入社面接では海外貧乏旅行で何を学んだかを語ると内定が直ぐに出た。

当時の大手四社と言われた野村・大和・日興・山一と全て内定をもらい、OB訪問で一番印象が良かったことと人の山一、法人の山一と言うキャッチフレーズが心に刺さったことと私が入社して必ず野村證券を抜いて再び日本一の証券に成り上がりたいと思い当時4位が指定席の山一證券に入社を決めました。ですが困ったことにどうやって野村証券の内定を断るかに頭を悩ませましたが、正直に山一に行く旨をお伝えして丁重にお断りいたしました。当時は内定のお断りに行くと面談中コーヒーを頭からかけられるとか、かつ丼をひっくり返される言った噂が出回っていたからだ。実際、当然そんな事は有りませんでした。今、思えば野村証券に行っていれば今、どこで、どの部署にいんだろうとつくづく思う。

その後1990年10月1日の内定式には、はとバス13台(約700人)の行きのバスの中で当然の様にビデオ映画でチャーリーシーンのウォール街を見させれた。拘束旅行(学生を都内から遠避け他の内定した会社に訪問させない為)と称し山形の蔵王まで連れていかれ、昼は意味のないソフトボール大会と夜はフランス料理を堪能し次に各部屋に支給されたお酒を持ち込み各部屋で好きなだけお酒を頂きました。その宴会では途中から出身大学ごとに自然と集まりなぜか当時取締役人事部長の中央大卒の先輩を胴上げして気勢を上げた記憶があります。当時バブルの終焉とは言えノリも異常でした。

この時は流石は天下の山一證券は内定者にここまでするのかと思い、入社もしていない自分が大出世した気分になった。

岡山の片田舎にいたらこんな会社には到底入れない、今まで自分が努力してきて報われたと何度も思うと同時にやる気がみなぎっていた。

そして1991年4月憧れた山一證券に入社 【1991/4/1の日経平均26007円】

今回はこのあたりで終わりにします。

最後までお読み頂きありがとうございます。

明日は山一新人営業から在籍中のエピソードをご紹介いたします。

執筆:藤井 勝行

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